Vengineerの妄想(準備期間)

人生は短いけど、長いです。人生を楽しみましょう!

お仕事とポジション

はじめに

2023年、最後のブログとして、「お仕事とポジション」という内容で書きたいと思います。

ポジションと言っても、役職のことではないです。

なんで、「お仕事とポジション」というタイトルのブログを書く気になったのは、サラタメさんの下記の動画を聞いた(見てはいません)からです。 この動画の後半で出てくる、「量」以外で価値を出せる人、の部分で、あれ、もしかしたら、これって、と思ったからです。

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自分のお仕事をちょっと振り返りから「お仕事とポジション」

昭和バブルが終わり、平成元年社会人になりました。学部の時がピークであろうと言われたバブルはその後も続き、1991年2月まで続きました。 Googleの生成AIによると、バブル景気は、1986年12月から1991年2月までの51か月間も続いたようです。つまり、あたしはバブルの時に大学生から新人社会人として生活していたことになります。

お仕事としては、コンピュータをやりたいと思っていました。大学での専攻は電子工学だったので、電子回路とか半導体物性、コンピュータによる画像認識などを学んでいました。当時は研究で大きな成果を出すというモチベーションはなかったのですが、とある理由で昭和のC++(AT&T C++ Translator)を使って、オブジェクト指向を独学で学んだりしていました。結構楽しかったです。C++だけでなく、Objective-Cも実装系は手元にないものの書籍を読んで学んだりしました。お仕事をする場所を選ぶにあたって、コンピュータが必要になるけど、コンピュータの専門会社ではない会社を選びました。おまけに、就活の日数はたった1日(実際は準備もありますので、1日ではなかったですが)です。適性検査的なテストと面接だけだったです。。。その時一緒だった人は入社し、あたしが転職する時の大規模リストラで同じように辞めていきました。この、コンピュータの専門会社ではない会社を選んだのは、勝てないからです。コンピュータの専門会社に入ってくる人達は当然コンピュータが好きでかつそれなりの知識や経験を持っています。その人達と一緒でお仕事をするとなると、競争に勝たないといけません。。。そんなことやっても、まず、勝つことは無理なので、将来コンピュータが必要になるけど、今はまだそれほど使われていない会社を選んだわけです。ですが、実はその会社はとあるコンピュータに関しては超有名だったのです(一般人はほとんど知らなかったですが)。

この時、第一の「お仕事とポジション」の選択をしたわけです。

社会人の始めには研修というものがありました。今もありますけど。入社式を都内の高級ホテルで行い、その後観光バスにて研修所に連れていかれた思い出があります。その研修所で約3ヶ月研修を行いました。。。畳の6畳の二人部屋に寝るというものです。当然、風呂もトイレも共用です。。。これだけで無理な人も居そうですが、当時はそんなことを考えもしなかったです。

研修は平日だけなので、金曜日の夜に家に帰り、土日を遊び、日曜日の夜戻るという感じでした。金曜日と日曜日の夜は、駅弁を買い、電車の中で食べた思い出があります。何故か?その時、ビールを飲んでいなかった気がします。まだ、ビールを習慣的に飲むということではなかったのだと思います。

約3ヶ月の研修の終盤では、希望の配属場所を決めるというものがありました。一応、希望を聞いてくれていました。就職した会社はとあるカテゴリでは超有名なソフトウェアを開発していましたので、多くの同期はソフトウェアを希望しました。あたしも大学の研究室では、昭和のC++でプログラムを書いていましたので、ソフトウェアを希望しようとは思っていました。しかしながら、あまりにも多くの同期がソフトウェアを希望しているので、これはダメだと思い、競争をして勝てない配属希望はやめ、天邪鬼のあたしはハードウェアを希望することにしました。

この時、第二の「お仕事とポジション」をしたわけです。

配属された部署では、3種類のコンピュータを開発していました。一つ目はその会社の伝統的なコンピュータ、二つ目はUnixベースの新しいコンピュータ、三つ目は特別な作業を行うためのコンピュータです。。あたしは、二つ目のUnixベースの新しいコンピュータに配属されました。

この時、第三の「お仕事とポジション」をしたわけ(自分では無いですが)です。

Unixベースの新しいコンピュータ開発を行うところでは、全員が20代というチームに配属されました。このチームではCPU以外のすべてをASICで開発してコンピュータを作るというのがミッションでした。全員が初めてASICを開発するという非常にチャレンジなものでしたが、チームの上の係長のリーダーシップでそのチャレンジができることになったようです(配属された時は活動が始まっていたので、経緯は分からなかったです)。この時はチームリーダーの丁稚として働きました。設計はチームリーダー、あたしはその回路を回路図エディタCADに入力して、ゲートレベルでのシミュレーションにて動作確認をするというものでした。シミュレーションでは 1/0 のパターンという今では考えられないことをひたすらやっていたのです。

このASIC開発は成功し、UnixベースのコンピュータはOSの移植も行い、動くことが確認できました。が、とある技術的な問題があることがわかりました(この技術的な問題は、非常に興味深いものですが、ここには書けません)。

次のコンピュータ開発では、回路図からフルHDL(Verilog HDL)でASICを開発することになりました。開発メンバーは、4人。開発するASICの数は5つ。2人でペアを組んで、設計・検証を2チームで行いました。あたしはこの時、Bus Functional Modelとこのモデルを動かすための簡易アセンブラを作り、シミュレーションで利用しました。このコンピュータもUnixベースのコンピュータでOSの移植を行い、それなりに成功しました。この開発では、設計より検証の方が面白いなと思い、その後は検証に立ち位置を移しました。

この時、第四の「お仕事とポジション」をしたわけです。

おわりに

「お仕事とポジション」というタイトルでブログを書きました。

このポジションとは、立ち位置です。立ち位置は非常に大切です。。。

長く、エンジニアとして働けたのも、この立ち位置をうまく取れたからでは?と思っています。